高校生時代の私は、映画の物語に憧れた。特に犯罪のにおいがする話なんかがお気に入りだ。突然出会った美形は実はマフィアで、ヒロインは彼と結ばれる為に裏社会で生きることを選ぶ。けれど、そんなのは夢物語の産物であって現実にはいもしない。もしいたとして、彼らは私のような良い意味の凡人よりももっと不幸で、それでいて美しい女の子に声をかけるだろう。
「もしもしお嬢さん、これから貴女をワンダーランドへお連れしますよ。もう少しの辛抱だから、この日常を我慢して生き抜いてください」
なんて。
そんな胡散臭い話、誰も信じたりしないし、信じてしまうのもバカだ。その過程にも後にも、戦争が待っている。ハッピーになるだけなって映画のエンドロールっていうのは、現実ではハッピーになって幸せすぎて死にました、くらい滑稽なもので、映画だからともかく、あまりにも間抜けだ。そんなことも考えず、激しい恋を夢見るなんて、と成人した私は一人高校生時代の私を嘆く。
湾曲した理想は捨て、私はそこそこ真っ直ぐに育ち、無事に処女でからかわれる年頃になった。うん、マフィアじゃない普通の彼氏がほしい。
こういう呑気なことを言える日常は、素晴らしい。そう思わない? 嗚呼、なんて素晴らしい世界。日常、ラブ。
今日も今日とて、私はデパートで夕飯の買い物を普通に済ませた。イヤホンから流れる音楽が帰り道を彩る。父母のお帰りが聞きたくて、車のタイヤが浮き足だっているみたいだ。
信号を2個直進、次の交差点をターンライト。人通りがないシャッター通りのゲートを通り過ぎようとする。
「……?」
車のブレーキを踏んで、シャッター通りを凝視する。
建物の隙間に走って入っていく、黒服の男がふたり。僅かな危機感を覚え、携帯を取り出すけれど、すぐにしまい、車を道路の脇に停めて降りた。行ってはいけない、そう思いながらも、足はひとりでに進み、ゲートをくぐった。
男達が入って行った路地裏を覗こうとすると、何かが倒れた音がする。そう、丁度人くらいの。
「世話かかせやがって……ま、叫び声上げずに死んでくれたから、目立たずに助かったがな」
ドスの効いた、男の声が聞こえた。
「おい、用事済んだら帰るぞ」
「待ってくれよ、獄寺さん。もう少しコレの死に様を眺めさせてくれ」
ちょっと待ってよ、死んでくれた? 死に様? 奇妙なデジャブを感じる。
足がふらつき、コンクリート舗装された歩道に座り込む。握っていた鍵が手からこぼれ落ちて、音を立てた。
「……なんだ、今の音」
ヤバい、気付かれた。
「オレが見てくる。テメェはそれを思う存分眼に焼き付けとけ」
「ああ、助かる」
コツコツ、と革靴の音が近付く。逃げなきゃ、でも腰が浮かない。
黒いスーツの足が覗き、もう片方の足も出てきた。
顔を、上げられない。痛いくらいの視線が投げられているのは、見なくてもわかる。
「どうだ?」
「……いや、何にもいねぇ」
私のことを見下ろしている男らしき声で、私は目を見開く。
「何にも?」
「あぁ、何にもだ。オレ達が気付いたから逃げたのかもな」
「は!? 冗談じゃねぇ、もしサツに駆け込まれたりしたら……」
「んなことで怯えてんな。人殺したってのに、隠し通す覚悟もねぇのか」
彼のその言葉に、相手が口を閉ざす。静かになって、考える余裕が生まれてしまった私は、動けない代わりに涙が溢れそうになった。
「レガロ、先に帰ってろ。オレはソイツを追って消してからホテルに戻る」
「……万が一捕まっても、ボンゴレを巻き込んでくれんなよ」
「オレが? オレはテメェの方が心配だ。チキンのレガロは平和ボケした日本の警察にさえ洗いざらい吐いちまいそうだからな」
私の目の前にいる男は、さっと涙で濡れた私の手を取って私を立たせた。そこでようやく顔を上けると、彼は目を疑う美人だった。しかも、髪は見間違いようのない銀髪。流暢な日本語を話すから、ずっと黒髪の男性を想像してたのに。
振り払う力も出ずに彼に引かれて数歩歩くと、背後から怒声が飛んできた。
「んだと!? 貴様いくらオレよりデーチモに近いからって自分よりボンゴレ長い奴に喧嘩売んのはマズいんじゃねぇのか!!」
後ろは、見たくない。
掴まれていない方の腕が、自然と銀髪の男に伸びる。
「なんだ? その薄汚い小娘は」
「何にでも薄汚いと言うのはやめろ」
彼は相変わらず片側の手をポケットに突っ込んでいて、後ろの男を見るわけでもなく、ただ前一点を見つめていた。
「……その小娘は殺すんだよなぁ」
背後の男の言葉で、私の背中に冷たいものが走る。どうしよう、足が地面に根をおろしたように動かない。
「何言ってんだ? お前の無計画な自称"暗殺"に巻き込まれたアンラッキーな一般人だぞ、コイツ」
「バカ言ってんな、アンラッキーだろうが何だろうが、知った奴を生かしちゃおけねーぞ」
そこでようやく、銀髪の彼は 首だけ振り向いて、後ろの男の人を見た。その口は、少しだけ弓なりになっている。
「チキンなレガロのミスを肩代わりして死ぬには、勿体無い女だと思うが」
私がそれを微笑だと気付いた時、頬を鋭い風が掠めて、後付けのように高い爆発音が響いた。
「テメェ! どこまでもオレをおちょくりやがって!!」
耳が痛い、何て言っているの? そう耳をすませようとして、気が付いたら腕を強く引かれた勢いで走り出していた。また、二,三発。銃声が鳴り響く。
ゲートを飛び出して、私の車をスルーして、男は脇目もふらずに走り続ける。彼の足があまりにも速すぎて、私は転んでしまいそうだというのに。
そのシーンは、紛れもなくかつての私が憧れたそれなのだけれど、今はとにかく怖かった。日常よ、いずこへ。
普段は行かない道に入って、自分が何処に居て、どうしたらいいのか完全に見失った。彼がいなくなってしまったら、私は迷子だ。
そう思っているうちに、黒塗りの車が視界に入った。いかにも目の前の男の所有物だ。その目測は間違っていなかったようで、私はその車の助手席に詰められる。その途端、私は妙に安心した。
男は車を回って運転席に乗り込み、エンジンを鳴らす。
「案外大人しく着いてきて拍子抜けした」
アクセルを踏み、いきなり制限速度オーバーで走り出す。60キロ、70キロ、80、90。
「……王子様に見えたので」
「はぁ?」
「こちらの話です、お願いですから助けて下さい」
景色の流れが目まぐるしい。いつパトカーが出動するのやら。
「……言われなくても」
正面を向いたまま、彼は仏頂面で言った。
グッバイ日常、サヨナラ、ローンが残ったマイカーよ。両親へ、また会えたら会いましょう。
とりあえず私は、生きることに専念した後に、映画の世界に踏み込みます。