悪夢編 標的2
"真の出会い"
死の先にも、生はあるのだろうか、という問いがあった。
いわゆる極楽浄土とか、天国とか、逆に地獄とか、そういうやつ。死んだ後に辿り着くのがそんな場所で、もしそこで暮らすのだとしたら、それも"生"だ。もしそういうものがあるのなら、きっとそこでも私は幸せにはなれないのだろうと思う。
行き着いた先が、幸せに満ち溢れていようとも、業火に焼かれていようとも、私は逃げた背徳感で苦しみ続けるのだから。
それがわかっているから、私は死の先は無だと思いたかった。三途の川すらないほうがいい。私が現世に逃げ道を作るのだとしたら、それは死しかないのであって、ましてや人でもなく、限りなく無に近い闇でもない。
死さえも逃げ道にならないのだとしたら、後はこれが"悪夢"であることを信じるしかない。
ふと眼が覚めたら、私の横には、美しい母親と、優しい父親の姿があって、大丈夫? 酷くうなされてたよと声をかけてくれる。
そして、私の中にはもう恐怖となる力は存在しない。いや、元々ないものとなる。
だから私は大鎌に追われない。白き死神なんて呼ばれない。ただの少女として生きている。
そうなら……どれだけ良いのだろう。しかし、それが本当だとするならば、今まで散々負ってきた傷の痛みはあまりにもリアルすぎる。悪夢を願うには、長すぎる時間が流れている。
この世界を、たった数時間の悪夢にするなんてただの空虚な妄想でしかない。
だから、私は無との境目である死を切札にするしかないわけで。
死にすがることしかできないなんて、どれだけ虚しいのか、自分自身でもわかっている。
だから、私は探しているのかもしれない。
死以外に、すがれるものを。
……否、どうせこれも、自殺ができない言い訳なんだ。
右肩に、激痛が走った。
「あっ……!」
その声は、ただ息を吐いただけのようにか細かった。
「あ、ご、ごめん!! 手が当たっちゃった!」
高いような、低いような、そんな不安定な声が、私の耳をつん裂く。
死にそうなくらい、頭が鋭く痛んだ。
………………死にそうなくらい?
「ひいっ、起きた!?」
ぼすっ、と分厚い布団に濡れタオルが落ちる。
服は、見たことのないスウェットに着替えられていた。かなり大きくて、肩が出かかっていた。右肩には、真っ白な包帯が幾重にも巻かれている。
今私がいるそこは、見たこともない小さな部屋だった。私はベッドに横たわっていたようで、その部屋はCDやスナック菓子の袋で散らかっている。
机があり、棚があり、低いテーブルがあり。そして、腰を抜かしている人間がいた。
栗毛がつんつんと重力に逆らうように立っていて、大きな眼が揺れ動きながら私をとらえている。私より年増のようだけど、まだティーンズだろう。多分、男。
「…………………」
「…………あ、えーっと」
その人は、イタリア語ではないけれど、確かに通じる言葉で話している。
「生きてるの?」
「え?」
「私、生きてるの?」
相手にも通じるはずだ。半年前まで、私はこの言語で母親と言葉を交わしていたのだから。
「……うん、生きてるよ」
何故か、彼は切ない表情で答えた。落胆しているのか、安心しているのか、よくわからない。はっきりしたのは、その言葉は、彼自身にも言い聞かせるような、そんな言い方だったこと。
――助けるのに、迷いがあったのか。
そう思った途端、私の感情は、堰を切ったように溢れ出した。
「なんで!?」
「え?」
「なんで、私を生かしたのよ! 死ねるはずだったのに、何もかもが終わるはずだったのに―――ッ!!」
涙がボロボロと零れた。眼をかたく閉じているはずなのに、ポタポタと布団に落ちる音は止まなかった。
「私のこと、知らないくせに! 私を最後まで守ってなんかくれないくせに、頼んでもいないのに! 私なんか助けないで!!」
叫ぶ度に、右肩が激しく痛みを訴えた。
「私が誰だか知ってる!? 私が現れれば、ひとたび人が死んでいく"白き死神"!! さっさと息の根を止めればよかったのに、またここでも人が死んでいく!!」
「白き、死神」
「そう! イタリアの人は私をそう呼んだ!! 私が歩けば首が飛ぶ、まるで大鎌ではねられたようにって!!」
バタン!!!
「!?」
部屋のドアが、大きな音を立てて開かれる。
「10代目! 大丈夫ですか!?」
「獄寺君……」
その音を境に、私は声を荒げることができなくなった。
部屋の入口に立っていたのは、私よりも濃い銀髪を持ち、栗毛の少年よりもずっと男らしい目鼻立ちをしている、いわゆる"かっこいい"人だった。
「……コイツ、眼が覚めたんですね」
叫び声が聞こえたので、急いで来たんですが。と、銀髪の人は私を少しだけ見て、すぐに栗毛の人に視線を移した。
「うん……あ、獄寺君!」
「何スか?」
「この子、自分のこと"白き死神"だって!」
「…………はい?」
ゴクデラクン、と呼ばれたその人は、ジュウダイメの言葉に目を見開き、私を凝視した。
「ま、まさか……んな、わけ……」
彼は狼狽し、床と私とで視線がせわしなく行き来した。
遠い日本の地でも、私を指す名は既に出回っているのだろうか。それにしても、今更逃げるつもりなどなかった私は、平坦な声で言い放った。
「彼が言ったように、私は白き死神ですよ」
さっきまで喚き散らしてたとは思えないほど、私の精神は安定していた。喚き散らしたからこそかもしれない。
「は……? んなの、冗談じゃねーぞ……」
ジュウダイメは、そっか……なんて呟いて、勝手に何かを納得している風だった。
「君の名前は、だね?」
ジュウダイメが、確認するような口調で聞いてくる。その言葉を、何度か脳内で反復して、ようやく意味が理解ができた。
「……そう、なんでわかるの?」
素直にびっくりした。今まで、白き死神と見知らぬ人に呼ばれたことはあるけれど、本当の名前を知ってる人はほとんどいなかったから。
「言っていいのかわかんないけど……」
その次に、ジュウダイメはとんでもないことを言い出した。
「オレ達、半年前までクラスメートだったから」
「…………え?」
クラスメートって、何を言っているの。
頭の中が真っ白になり、ただジュウダイメの次の言葉を待つしかできなくなった。
「は、オレ達のことわからないみたいだね」
「……わからない、もなにも……」
フルネームすら知らない、と言おうとしたところで、息を飲んだ。
「オレ、まだ信じられないよ。だって、目の前にいる君は、確かになのに、オレ達が知ってるじゃないみたいなんだ……」
ジュウダイメが、目をうるませて、そう言ったから。
私が、知らないと断言してしまったら、彼は崩れ落ちてしまいそうだ。年上の癖に、脆い。
「調子はどうだ?」
ジュウダイメは泣きそうだし、ゴクデラクンはつっ立ってるしで、居心地が悪かったところに、ジュウダイメでもゴクデラクンでもない、別の声が入ってきた。
「リボーン、さん……」
その声の主は、顔立ちや背からして、私とそう変わらない歳の男の子だった。
ただ、その小柄な身にはカッチリとしたスーツにを纏い、黒ハットをかぶっているという……あまりにも不釣り合いな格好だった。
「見れば見るほど、にそっくりだな。ちと小さすぎる気がするが」
その少年は、口の端を吊り上げ笑った。仕草さえ年格好と似合わない。
「それが、リボーンさん……」
「下で大体聞いた。白き死神なんて、随分懐かしい呼び名じゃねーか」
懐かしい? そんなはずはない。
まったく状況が整理できない中で、リボーンさん、と歳上のゴクデラクンに呼ばれている少年に名前で呼ばれた。
「その肩の傷はどうした」
思い出したように、傷が痛み出した。
「……知って何になる」
リボーンの眼を見ることができない。口にしなくても、リボーンにはわかってしまいそうな、そんな雰囲気が漂っていた。
「能力者狩りにやられたか」
「!!」
反応したのは私だけではない。ジュウダイメやゴクデラクンもまた、リボーンを見つめていた。
「その様子じゃ、ビンゴみてーだな」
「ま、待てよリボーン! 能力者狩りは壊滅したって……」
「この時空平面ではな」
「え…………?」
ジクウヘイメン……?
「まさか、リボーンさんはこのが別の時空間から来たと、そうおっしゃりたいのですか?」
「それ以外に、ここにがいる言い訳がつかねーだろ」
「………………」
それきり、ジュウダイメとゴクデラクンは口を閉ざし、うつ向いてしまった。
「ま、オレは異空間から来たと思いたいがな」
少しだけ伏せられたリボーンの眼に、深い想いが揺れているようだった。