ふと、気が付いてしまった。
こんなところで、"彼女"がまだ生きていることを。


10年前から、彼の世話をしていたアンドロイド。
彼が日本を離れるのは、あまりにも突然であった。そのせいか、彼は彼女の電源を落とし忘れたまま旅立ったのだが、彼女は律儀に、ずっと、彼の帰りを待っていたのだった。
整った顔立ち。大人しそうな雰囲気は、人間であれば好まれそうなイメージを持たせた。
彼女は、掃除をしていた。息の上がった彼を見て、ピタリ、と動きを止めると
「お帰りなさい、主」
とインプットされた台詞を吐き出した。
「…あぁ」
変わらない―当たり前なのだが、その姿を見て、彼は胸をなでおろした。

彼は、彼女のために自宅に帰ってきたようなものだった。そこそこのマンションである彼の住まいは、学生のひとり暮らしにはあまりにも不釣り合いな場所だった。そういう近隣住民からの視線も考え、彼女が派遣されたのである。
外見から見れば20前後の彼女は、彼の姉と名乗れば納得されていた。
「その…悪かった。何年も…」
相手はアンドロイド。
それに感情がなくとも…いや、ないからこそ、かたくなに、帰ってこないかもしれない彼の帰りを待ち続けた彼女を、彼はあわれんだのかもしれなかった。
「いいえ、お気にならさらないで下さい」
彼女は、微笑む。
そのワンパターンのはずの笑顔は、彼の記憶深くのそれと、何処か微妙にずれていた。
機械にはないはずの、感情というものがインプットされたかのように、その微笑みは寂しさが混じっていた風に見えた―少なくとも、彼の目には。
まさか、機械相手に感情移入しようとはな。
彼は、そんなことを思いながら、いつの間にか小さく―いや、自分が成長しただけだろう―なっていた彼女の頭を、撫でてやっていた。
特殊コーティングされた人工頭髪は、幾年経ってもその艶をなくすことはない。
そんなことを、彼女の創造主は言っていた気がする。たしかに、彼女のセミロングの銀髪は、彼の手を心地よく流れていった。
「…どうされましたか、主」
「なんでもねぇよ。しばらくこうさせろ」
「はい」
さっきのは勘違いだったか。
彼女の無機質な反応に、彼は髪を撫でる手を止めた。

人間の女なら、もっと恥じらうとかするのに…やっぱりこいつは機械なんだろう。何年も一緒に過ごしていたから、いつの間にかそんな感覚は消えていた。今は、また何年か離れて暮らしていたから―女というものについて、この何年かで知り得ていたから―こいつが機械だということははっきり確認できる。
だが、その何年間で、オレはどれくらいこいつを懐かしんだだろう。
相変わらず、オレは家事なんてできないし、懐かしむようなら、こいつを隣においてもいいんじゃないか。女避けにもなるし。

彼は、刹那の回想を終え決断を下した。
むしろ、かつてここから出たときも彼女をここにおいて行く理由はなかったのだから、こちらのほうが好都合だった。
「なぁ」
「はい」
「これから、オレはまたここを出る。オレは、お前を連れて行きたいと思ってるが、どうだ?」
「…どう、とは…」
首をかしげる彼女。彼は、そこで気が付いた。
今、オレが「行きたいか、否か」と聞いたところで、こいつには拒否をすることを知らないんだから、意味がないのか―。
こいつの目は、森のように深い。その目が、ゆらぐことなくなんでも受け入れるのは、アンドロイドであるがゆえ。だが…なんでも受け入れることも「意思」なのだとしたら?
こいつに意思はないけど、肯定もひとつの意思で間違いではない。
その「意思」を確認せずにここから連れ出すのはタブーか…。


彼の思考は、人間の女性を相手にする時よりも複雑に働いていた。
それは、彼の中での彼女が大抵の人間よりも大きな存在だからだろう。
「オレと、一緒に行かないか?」
彼女は、彼のエメラルドの瞳を覗き、
「…私に、拒否をする権利はございません。ですが…」
彼女はそこで言葉を切り、目を伏せて迷うような仕草をする。
まるで人間のように。
彼は、彼女の対応に内心驚いていた。しかし、否定的な感情は持っていなかった。
「私は、この家が好きです。できれば、この家を離れたくない…そう思います」
「……」
彼は、彼女の実体を忘れかけていた。
本当はアンドロイドのはず。感情のない、機械。
それが今、願いを乞った。
反射的に、彼は彼女を抱きしめていた。
…」
驚かないかわりに、彼女は「はい」と返事をした。




後に、創造主と連絡を取った時のことである。
には、人工知能を埋め込んである。長年人間と接して、"感情"を学習したのかもしれないな」
「それを…もっと早く言え」



彼は、彼女の願いを聞き入れ、自身も自宅で寝泊まりすることになった。


いつか、人間になるであろうの成長を見届ける為に。

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