そろそろ梅雨の季節だと、天気予報のお姉さんは言っていた。実際に予想しているのはハゲ面のオヤジだろうに、こういうところでも視聴率競争は勃発しているんだな……と、はくだらないことを思いながらお煎餅を割っていた。
「梅雨か……」
 実際に日本の梅雨というのを体験したことはないが、連日続く雨はにとって厄介なのは間違いない。
 ――梅雨前に、一回行っとくか。
 は、リビングから借りている部屋へと移動し、これから行く場所で必要なものを準備しはじめた。
 時間は、午前6時。
 土曜日のこの時間帯、奈々さえまだ眠っている。


……あのさ、頼みがあるんだけど」
「なんだよ、オレ今から山籠りなのに」
 ツナが、控えめに寄ってきて、手を合わせながら言った。
「これから山本がきて試験勉強するからランボ達の相手してくれない?」
「試験勉強? 綱吉なんかが勉強するんだ」
「酷いよそれ」
 ツナが抗議しているのを聞き流し、はシャツを脱ごうとする。
「わっ、ちょっと待って!」
 慌てて部屋から出るツナに、は声を上げて笑う。
「別に見たっていーのに」
「よくないよ!」
「脱いでも見えないから」
 ドアを閉めようとしたツナの手を掴み、部屋に引き戻す。
「え?」
 ツナが自身の目を隠す前に、捲った服の中を見せる。
「……さらし?」
 ツナが気付いたところで、シャツを一気に脱ぎ捨てる。
 脇からくびれの少し上まで巻かれたさらし。ツナは、さっきまで必死に逃げようとしていたのに、まじまじとその体を見つめている。
「そもそも、毎日修行してるから胸なんてないし」
 は内心、ここまで女扱いされていることに驚いていた。
「いや……無いことはないと思う……」
 そんなには、小さく呟くツナの声は聞こえていなかった。
「で? 何でオレがランボ達の面倒見なきゃいけねーの? 奈々さんは?」
「母さん用があるって出掛けちゃってさ……イーピンもフゥ太もいるから、傍で見ててくれるだけでいいんだけど」
 ダメかなぁ、と言うツナ。は面倒臭げな雰囲気を全面に押し出しながら言う。
「ガキの面倒見んの苦手なんだけどな……つーか今山行くって言ったばっかり……」
 ツナの気の弱さは、よく知っている。が折れなければ、負けることはないはずだった。
「山? 今雨降ってるのに?」
 ツナが、こう首をかしげて言わなければ。
「…………マジで?」
 よくよく耳をすませてみれば、結構な雨音がして、は溜め息をつく。
「都合のいい耳だな、もう」
 一人自嘲して、ツナに親指と人差し指で作った輪を見せた。
「暇よりマシだ、引き受けるよ」
 ツナはほっと息をつき、ありがとうと言って部屋を後にした。
「……ガキん時なにして遊んでたかな……」
 脱いだシャツをもう一度纏い、腕を組む。
 獄寺が近くにいると認識してから、辛かった回想がいくらか楽になった。
 幼い頃の記憶にいて、今も傍にいてくれる人なんてひとりもおらず、記憶を掘り起こす度に涙を流し、怒りに拳を震わせる。
 それを意味のないことだと結論づけてから大分経つが、封印した記憶は案外早く戻ってきた。
 木ばかりが広がる中に、ぽつりと建っている屋敷。遊び相手は、社交パーティーに参加した大人達の子供がほとんど。
 ダンスなどできない子供達は、ひとつの小さいホールに集められ、大人の時間から遮断される。
 だからといって、はそれに耐えられず、部屋を抜け出して子供達とパレードをしたものだが。
――ここでそんなこと出来ないな……つーか、しても面白くないし。
 ままごとや、かくれんぼなんかはしなかったように思う。その為に、どうすればいいのかわからない。
 まるで参考にならなかった記憶達を振り払い、頭を掻く。
「……ま、ガキ達に任せとけばいいか」
 は、切り捨てる早さには自信がある。それが数年間親無しで生き延びる秘訣だ、と勝手に思った。
 部屋を出て、リビングに向かう。既に山本は来ているのか、二階から笑い声が聞こえるが、リビングでは音ひとつしなかった。
 不思議に思いながらリビングに入る。
兄、おはよう」
 部屋にいたのは、市販のドリルに向かうフゥ太と、掛布団にくるまったランボとイーピンだった。
「……あぁ、おはよう」
 フゥ太は可愛らしく笑い、ドリルに視線を戻す。
「ランボ達はずっと寝てるのか?」
「ううん、さっきまで起きてたんだけどまた眠くなっちゃったみたい」
「そうか。じゃあしばらくは起きないか」
 寝ててくれるのは助かる。はキッチンに向かい、コップふたつといくらかのお菓子を出す。
「ツナ兄達に持ってくの?」
「あぁ、綱吉はそういう気配りができてないからな」
 冷蔵庫には、麦茶とオレンジジュース、イーピン用の中国茶とランボ用のぶどうジュースがある。はオレンジジュースを出し、お盆の上にのせた。
「……兄、豪快だね」
 苦笑するフゥ太に、疑問符で応える。
「そうか? 向こうで入れたほうが溢さないしいいと思うんだけど」
「あ、そっか」
 納得したように頷くフゥ太。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「うん」
 リビングを出て、階段を登る。一段と賑やかさは増し、聞くだけでは勉強なのか遊んでるのかわからない。
「……ん?」
 微かに、ツナでも山本でもない声が聞こえた。わざとらしく小さくしているようなそんな声が。
「……です、10代目。このXはですね……」
「隼人っ!」
 マッハにもなりそうな速さだった。階段を一気に駆け上がり、壊れそうな勢いでドアを開いた。
!? テメーアホ牛達の面倒見てたんじゃ……」
「安心しろ、ランボ達は健やかに眠ってる」
「……使えねぇアホ牛だぜ」
 軽く舌打ちをする獄寺に、まぁまぁと宥めたのは山本だ。
「よ、
「よ、武」
 互いに片手を上げて挨拶を交わす。ツナは、獄寺にこっそり謝っていた。
「ゴメンね、獄寺君。もうちょっとしっかり言っておけばよかった」
「いえ! 10代目のせいではありません! 悪いのはっスから!」
「あ、隼人その髪型かわいー!」
「野郎に可愛いとか言うんじゃねぇ!!」
「まーまー獄寺、褒められてんだからいいじゃねーか」
 後ろに縛っていた髪を解き、獄寺がに掴みかかろうとするのを、山本が腕を押さえて止める。
「黙れ野球バカ!」
「勉強の続きしようぜ? このままじゃオレもツナも赤点取っちまう」
「……いいか、。ここに居てもいいが、騒ぐな」
「いえっさぁ」
 だらしなく敬礼してみれば、獄寺はを忌まわしげに睨み付け、ツナの目の前の教科書にシャーペンを向ける。
「10代目、コイツは無視して続きしましょう?」
「獄寺君、いいの?」
 若干小さくなりながら、ツナは聞く。
「まぁ、来ちまったからには仕方ありません。それに、存在が脅威というわけではありませんし」
「あ、あぁ……そういうこと」
 ツナは苦笑を浮かべ、シャーペンを手にとる。
「そうそう。ジュース飲むか? その為に来たんだよ」
「マジ? オレもらうぜ」
 がコップにジュースを注いで、山本に手渡す。
「あ、オレも……」
 そういうツナにもジュースを渡し、あっと声を漏らす。
「隼人は? 下から持ってこよーか」
「オレはいらね。んな甘いもの飲めるか」
「そっか」
 は気にすることもなく、テーブルにお菓子を並べた後、ツナのベットに座り込んだ。
「じゃ、お構いなく」
「それが言うことじゃないから!」
 は軽く無視して、ツナのベットに転がっていたマンガを読み始める。
 諦めたように溜め息を吐き、ツナは勉強を再開した。
 にとって、人が集まって同じ勉強をするというのは珍しいものだった。マンガに飽きると、その光景を観察するようになる。
 同じ問題を解き始めて、最初に悲鳴をあげるのは、ツナ。それを獄寺が教科書片手に指導しはじめ、山本はそれに一言入れて怒鳴られる。いつものパターンである。
 そのやり取りを繰り返しながらも、勉強は着々と進んでいるように見えた。
「なー、
「ん? どうした武」
 ベットの一番近くに座っていた山本が、体を捻ってに顔を向ける。
「獄寺、ツナばっかり教えてるからよ、オレ問題解けないんだわ、教えてくんねぇ?」
「あー、断る」
「はやっ」
 普段と変わらない笑みを溢し、その理由を聞いた。
「教科書に書いてあること、全然わかんねぇから」
 その言葉には、三人全員が反応した。
「それって……日本語が読めないってことだよね」
「いや、読めるには読める」
「じゃあ何で……」
「式の意味がわからない」
 さらっと放たれたの台詞に、ツナは硬直し、山本は相変わらず笑っているが、眉がいつもの位置に固定されていない。
「ガキん時はそんなバカじゃなかったよな」
 獄寺に言われ、は頬を掻きながら答える。
「んー……多分な。少なくとも隼人よりは」
「え」
「獄寺よりもかよ」
 唖然とするツナと山本にぶっきらぼうに言った。
「ガキの頃は家庭教師が来て教養積んでたからってだけだ。もう5年は勉強してないし、元々の頭の出来はよくないし、もう出来ないな」
 勉強は嫌いだった、というは、テーブルに散らばる教科書やらノートやらを見つめ、微笑む。
「いいな、そうやって友達と集まって勉強できんの」
「え? どういうこと?」
 獄寺は肘を立て、そっぽを向く。ツナと山本は、何故、というより"友達と集まっての勉強"以外のことが想像できてなさそうだ。
「オレが住んでた屋敷はオレしかガキいなかったから……ひとりか、家庭教とかくらい。隼人といた時は、大体遊んでたし」
 目を閉じて、過去の景色を目蓋の裏に思い描く。
 ツナ達が暮らすような街があることも知らなかった世間知らずな時代。
「じゃあ、も一緒に勉強しようぜ!」
 目を開くと、山本が目の前で笑顔を浮かべている。
「いや、だってそれじゃ試験勉強できないんじゃ」
「んなの気にすんなって。な、ツナ、獄寺?」
「え、オレは構わないけど」
「ふざけんな、どうせ教えんのはオ」
「本当か? じゃあ甘えちゃおうかな」
「おう!」
「オレの話を聞け!!」
 その後、ツナから借りたノートに赤マルがびっしり並び、ツナと山本を軽く凹ませたのは別の話。