"私"は死んだ。
 あの日、あの場所で、両親が死んだのを知った後、"私"も後を追って、死んだ。
 そして、"オレ"が生まれた。
 "私"の意思を継いで、再び生きるために。未来に、必ず求めるものがあると願って。
 まだ、求めるものに近づけていない。もどかしさはつのり、じだんだ踏んでばかりだ。
 背中さえ見えない。捨てたものばかり拾ってしまう。今更、なんだよ、そうとしか思えない……。
 あんなに求めて、でもやっとの思いで捨てたものは、あっさり手中に収まってしまった。
 これからの"オレ"の生に、お前は必要じゃなかったのに。でも、屍のまま放置されていた"私"は、またお前に手を伸ばしはじめた。あくまで同一の"ふたり"は、その想いにあらがえなかった。
  刹那の安らぎに、甘えたくなった。傍にいるだけで癒される。そんな快楽を、長いこと忘れていたから。
 "オレ"の心は荒んでいた。ただ求める日々に、ただ恐れる日々に。


華々しい日々。


!」
 春の古城の庭には、色とりどりの花が咲き誇っている。その花畑の真ん中に、花に負けじと、鮮やかなオレンジの髪を風に遊ばせる少女がいた。まだ幼女に近い彼女は、自分よりも少し幼い少年に呼ばれ、くるりと振り返った。
 ウェーブがかかった長髪が、また風でなびく。
「どうしたの? 隼人」
「オレ、シャマルからダイナマイト教えてもらったんだぜ!」
「……へぇ、よかったね」
「あぁ! 見てろよ?」
 隼人は懐からダイナマイトとライターを取り出し、ダイナマイトに着火すると、空に放り投げた。
 少年の弱い腕力では、ダイナマイトは高く飛ばず、小さな筒が起こした小爆発は、隼人を軽く吹き飛ばした。
「隼人!?」
「ヘヘッ、ヘーキヘーキ。でも、な、すごいだろ?」
 花畑に倒れ込むが、すぐに起き上がり、キラキラした目にを映した。
「隼人みたいなドジっ子に爆発物なんて似合わないよ」
「はぁ!? 誰が……」
「自分で自分を殺さないでね、いくら私でも隼人自身から隼人は守れないから」
「……?」
 の言葉の意味が理解できず、隼人は首をかしげる。
「よし、まずはダイナマイトを投げるための腕力作りから! 腕立て伏せ50回!!」
「は……? って、なんだよその中途半端な数字!」
「いきなり100回とかやっても続かないから。それに、隼人坊っちゃんの体じゃ30回ともたないでしょう?」
「な、なめんじゃねぇ! オレなら50回くらい……!」
 隼人は、の挑発にのせられ、花畑の中で腕立て伏せを始める。は隼人の横に座って、回数を数えあげていった。

「よんじゅーななー、よんじゅーはちー、よんじゅーきゅー」
「はぁ、ご……じゅ……」
 バタン、と倒れ、仰向けになる。息はあがり、頬は赤く、笑顔で顔を覗いてくるに、文句のひとつも言ってやれなかった。
「意外に50回いけたね、すごいよ、お坊っちゃまのわりには」
「う、るせー……」
 汗で隼人の顔にへばりつく髪を、は細い指先ですくいあげる。
「むしろできないほうがよかったのに。そうすればダイナマイトを取り上げる口実はできるし、私がいつまでも隼人を守ってあげられるじゃない?」
「ふざけんな! 女に守られる一生なんてゴメンだ」
 青空を仰ぐ隼人の目には、は入っていなかった。
「……うん、そうだね」
 女の成れの果て。それを悟りかけていたは、今の瞬間がいつまでも続けばいいのにと思っていた。


最後の柱が壊れるトキ。


 それから数年後。隼人は家を飛び出し、隼人の家も壊滅。は、家にこもり、夜遅くまで教養を積むばかりの日々を送っていた。
「お疲れさま、
 には兄がいた。名は、サクという。彼は家の血を引かない養子。家の後継者でもない兄は、のような教育を受けられなかった。元々、将来家の使用人として働くために引き取られたのだ。彼は、が赤子だったころから兄として接してきた。
 すべては、に何不自由ない生涯を送ってもらうために。
「お兄様……ありがとう」
「無理してないかい? 辛かったら言ってよ」
「ううん、大丈夫」
 は首を横に振り、静かに笑った。
「まだ隼人君が気になるの?」
「……違うよ」
 沈黙の中に、ポツリとの声が漏れた。
「むしろあんな出来損ない、消えてくれて気分がいいよ。今頃、どっかのスラム街で物乞いでもしてるんじゃないかな、あの甘えん坊の隼人坊っちゃんだもの」
「遊び友達、いなくなっちゃって寂しくないか?」
「お兄様がいるから、大丈夫。それに、私は家の次期当主なんだから、いつまでもああやって遊んでられなかった」
 だから、寂しくなんかないよ。と。
 しかし、茶色い瞳の奥は、揺れ動いていた。部屋の光が、の瞳で乱反射している。
「そう……僕のことをそう思ってくれて、嬉しいよ」
 の身の回りは、歪だ。自分もその異分子のひとつ。兄であり、未来の召使いである自分は、を不自由にさせるひとつの鎖になる。そして、自分にとって、この家も……。
「いつか自由になれる。だから、それまで頑張るんだよ」
「……?」
 は首をかしげる。 「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、なさい……」
 サクは、の頭を撫でてから、部屋を出た。が、どういうわけか寂しそうに見つめていることを知りながら……。


私からオレになった瞬間。

 灰色の城が、血に染まっていた。
「逃げて下さい、お嬢っ」
「サクが、裏切りやがった……!!」
「オレ達が止めている間に、様はどうが城の外へ!」
「サクは、様の幸せへの生け贄サクリファイス なのに……!!」
「敵ファミリーのドンの娘と駆け落ちするなど……」
 言葉の意味を理解する余裕もなかった。は、ただ外へ走っていくことしかできなかった。
 少女の体では、自分の身を隠して逃げるので精一杯だった。
 倒れていく仲間(ファミリー)をみて、涙を溢しながら。
 その仲間が、自分の生を望むなら、応えるしかないから。
 走って、走って、城の外にいる大男達の目から逃げて。
 月明かりを受けて光る城が遠くなるまで、は走った。体力の限りを尽くし、荒く呼吸をする彼女に、まだ考える余裕はなかった。
 ここまで来ると、城はいつも通りの城だった。静寂を身に纏い、自分と、家族達を優しい眠りに誘う――
「……お父様、お母様」
 そこでようやく、城に大切な家族を置いてきたことを思い出した。
 今度は無我夢中で戻った。身を隠すことすら忘れ、苦しみに耐える体に鞭を打って、走った。

 しかし、戻った頃には既に、城の周辺には誰もいなかった。城に近付くにつれ、血の臭いが強い吐き気を促した。
 転がる肉片、誰とも見分けがつかない死体。引きずられた痕を示す血痕、柔らかな"肉体"という鞘に収められた剣……。
 にとって、初めての"戦場"だった。何があったのか、には想像もつかなかった。少女には刺激が強すぎて、思わず膝を突いた。
 胃が熱い。咽を遡るその熱は、やがて口に溢れて……。
 涙とともに地に落ちるそれは、血と混じり、さらに不快な臭いを発した。
 身体中が痛みをあげながら、はよろよろと立ち上がり、城内に入っていった。
 城の中も、悲惨なものだった。
 月明かりを遮って暗い中は、戦場の姿を隠してくれる。しかし、時々蹴ってしまう柔らかいものや、鼻を貫く激臭が、浅はかな記憶を彩っていく。
「お父様、お母様……何処にいるの……?」
 頭を両手で押さえながら、は階段を駆け上がる。
 部屋を片っ端から開けていっても、窓から差す薄い光と、それに浮かぶ赤ばかりが待ち受けていた。
 彼女の愛する両親の姿は、何処にもいなかった。
「どこ、どこ、ねぇ、お父さん! お母さん!」
 泣き叫びながら、ドアを開け放つ。まだ10歳ばかりの少女には、両親なしの生活などままならないのだ。
 覚悟を決めていたはずのは、裏社会の姿を見せつけられ、恐怖で深い谷底に落とされたような錯覚に陥っていた。
 父母の胸を求めて、少女は扉を開き続けた。
 やがて、城の塔の最上階にある展望台に行き着いた。がよく、両親や兄と望遠鏡で星を見た思い出の場所、そこに、の両親はいた。
「…………」
 しかし、ふたりとも、胸から血を流した姿で。
 よろよろと、ふたりが横たわる地へ歩み、腰を落とす。
 真っ白なふたりの顔に、涙の筋が通っていた。口から流れた血を拭き取れば、とても綺麗な顔だった。
「あぁ、これはすべて、サクのせいなのですね……?」
 とめどなく流れる雫は、の手を、冷たい肌を濡らしていく。
「……生け贄になるはずのモノに、逆に生け贄にされるなんて……ね」
 力なく笑い、よろよろと立ち上がる。
「お父様たちが、サクを叱れるようにそっちに連れて行ってあげるから、それまで待っててね」
 顔を拭い、塔をあとにした。

 その後、は自分の部屋の大鏡の前にいた。
 右手に、鋏を握って。
「弱い私なんて、死んじゃえ」
 斬。鮮やかなオレンジの髪が、床にはらりと落ちる。
「死ね、死ね、死んでしまえ」
 不揃いなショートカットが、月明かりを反射する。暗い床に敷かれた髪は、血のようだった。
 そう、たった今死んだ、ひとりの少女の血のよう。
 そこに立っている人間は、最早ひとりの少年だった。
「サク、待ってろよ。オレがお前を地獄に堕としてやる」



「なぁ、ってさ」
「うん?」
「なんで一人称オレなの?」
「……綱吉には言わない」
「は!? なんで?」
「プライバシーの侵害」
 誰にも言わない。
 隼人にだって、言うつもりはない。
 これは、ふたりだけの問題だから。