8時、5分前。
 もうすぐ、校門前での服装点検が始まる。
 応接室から見える正門には、学ランの姿がいくつか見えた。その中に、一際体つきがいい副委員長がいる。彼は人員点呼をして、点検の時間になる前に、僕に報告してくるはずだった。
 けれど、彼は一向に報告に来ない。普段なら、10分前には全員揃っていると報告するのに。
 ということはつまり、誰かがまだ来ていないと言うことなのだろう。
 まぁ、その"誰か"は一目瞭然なんだけど。
「あれだけ釘を刺したのに……」
 誰かさんの象徴である、並中生唯一のセーラー姿は何処にもなかった。



「……レイトショーが凄く安かったので」
 応接室の真ん中に、正座をしているセーラー服の女。ツインテールが荒れてるのは、徹夜で映画を観て寝坊したからで、頬が赤いのは、応接室に来るまでに散々風紀委員に皮肉られたかららしい。
「風紀委員がレイトショー観て、当番はおろか学校にすら遅刻するなんて、聞いて呆れるね、何見たの? バイオハザード? たしかアレ年齢制限あったはずだけど」
「そんな怖いの、深夜にみません」
「いつだったか、君はターミネーターを夜通しで観て学校の存在すら忘れたと言っていた」
「私に都合の悪いことばかり覚えてますね、けど本当に、昨日はそういうの見ていないんです」
 じゃあ何を見たんだと問いただせば、この洋画オタクは僕が聞いたこともない映画のタイトルを口にする。どうせB級だろうと言えば、れっきとしたハリウッド作品だと反論された。
 その眼は、応接室に入った時の弱々しいそれではなく、まっすぐに僕を見つめている。
「委員長が映画を見ないだけで、興業収入が億単位のすごーい人気作品なんです」
「そんなことはどうでもいいよ」
 どうしてそんなことを律儀に説明しようとしているのか。僕には全く理解できない。
「いい? 僕は映画を見るなって言ってるわけじゃなくて、当番をちゃんと守ってって言ってるんだ」
「でもレイトショーが激安なのは毎週水曜日なんです。委員長が木曜に当番入れなきゃ、こんなことにはなりませんでした」
「僕のせいにするんじゃなくて、どうしたらいいのか自分で考えたらどうなの?」
 これが男なら、暴力で粛正できるのに、と思ってしまう。ちょっとした手違いで女子禁制の風紀委員会に入ってしまった彼女なんて、今すぐ追い出してやりたい。
 彼女は正座で、僕はその目の前で仁王立ち。立場の差は歴然としているのに、なぜかこの女はいつまでも引こうとしない。イライラは募る一方だ。
「……私だって、どうしたらレイトショーを観ても学校に間に合うか、すーごく考えたんです」
「結論はでたの?」
 彼女は首を横に振り、言葉を付け足した。
「レイトショーの後は、興奮して明け方まで眠れないんです。だからって、寝ないで学校に行くのは危ないので……。だから、委員長に折れて頂くしかないんです」
「イヤだ」
 どうせそんなことだろうと思った。予想は簡単にできたけれど、当たったら余計に、彼女の開き直りの度合いは有り得ない域に達していると思ってしまう。
「……あ、そうだ!!」
「何、どうにかする方法でも思いついたの」
「はい! これなら完璧です!」
 目を輝かせて言う彼女を見ていると、何故か悪い予感しかしない。
「言ってごらん」
 それでも、聞かずに無視するわけにはいかないし……ね。
 彼女は、意味もなく深呼吸をし、さも素晴らしい案だと言いたげに豪語した。
「委員長のモーニングコールです!」
「委員長が朝、『おはよう、』って電話をかけてくれたら、私絶対に跳ね起きます!」
 なんで君の名前を? いや、それ以前になんで僕が?
 プツン、と細い糸が切れた。
「わかった」
「本当ですか!?」
「うん、そんなに咬み殺して欲しいんなら、早く言えばよかったのに」
 トンファーを出し、構える。
「…………はい?」
 笑顔だった彼女の顔が、一瞬で凍り付いた。
「おやすみ、""」
「ちょ、ちょっとまっ……」
 彼女は立ち上がろうとするが、慣れない正座をして足が痺れたのか、足に力が入らない。
「立てない……あっ!」
「っ!?」
 気が付いたら、僕は彼女に覆い被さる形で倒れていた。
「………………」
 よくよく見れば、彼女の腕は僕の左腕をしっかりと掴んでいる。あぁ、でも……これを他の誰かに見られたら…………
「失礼します、委員長」
 そう思った矢先、ノックと同時に低い声が聞こえ、ドアが開かれた。
「本日の服装点検のリストですが……あ?」
 入って来たのは、副委員長だった。床に倒れている僕達を見て、バサバサと書類を落とす。
「し、失礼しました!!」
「………………」
 彼は書類を拾いもせずに、(まして風紀が乱されてる風に勘違いしたにも関わらず、彼女を助けもせずに)逃げるように応接室を飛び出して行った。
「………………バカにも程があるね」
 彼女に掴まれた腕を払い、立ち上がる。
「先に彼を咬み殺して来るから、君はそこで待ってなよ」
 どうせ逃げるだろう……心の隅でそう思いながら、僕は応接室を後にした。


「相変わらず、咬み殺し甲斐がないな……」
 既に固まろうとしている血を眺め、この血がトンファーに付くのは何度目だろうと考えていると、丁度応接室に着いた。
 開け放たれたドアを見る限り、中には誰もいなさそうだ。
 予想はある程度していたし、猶予は与えるつもりだった。次、また遅刻してきたら、流石に許せないけど。
 そんなことを思いながら応接室に入ると、人の息遣いが微かに聞こえた。
「…………まだ寝不足だったワケ?」
 僕がいつも寝る時に使うベッドは、既に先客で埋まっていた。


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