並盛中には珍しい、全校朝礼。ツナは、校長の無駄に長い挨拶を子守唄に、立ちながらうたた寝をしていた。
左隣に立っているは、ツナが頭を規則正しく動かす様子を楽しそうに眺めている。決して起こそうとはしない。
「えー、今日は、教育実習生を紹介します」
校長が話すと同時に、体育館舞台の袖から、ひとりの青年が現れる。
赤みのある茶色い髪、細いのにひ弱さを見せない、ある程度筋肉のついた体(もっとも、今はスーツでわかりにくいが)。
「えー、彼は麻里 双夜君です。教育実習生ですが、これから半年間、皆と生活することになりました。えー、では、挨拶をしてもらいましょう」
校長がマイクから離れ、青年をマイクの前へ誘う。
遠慮がちに進み、青年は緊張を声色に含んで言った。
「ご紹介に預かりました。麻里 双夜です。教科は音楽、担当するクラスは1年A組です。あ、オレ……違う、僕はイタリア出身なので、意思疎通が難しいとこもあると思いますが、みんなと楽しく過ごせたらいいな、と思ってます、よろしくお願いします!」
ツナは"イタリア"のところで頭のリズムを盛大に崩し、前にいる男子生徒に頭突きしかけた。
なんという偶然か、一時間目は音楽だ。普段なら朝から声を出すことが面倒で、グダグダしている音楽室の空気が、不思議と賑わっていた。
「きっと、1Aをイタリア人まみれにしたいんだよね」
「ん? 他にイタリア人いたか?」
「ちょっと周り見ようよ!」
今日も爽やかに山本節炸裂。
「……あ、獄寺とな」
ツナがほっと胸をなでおろしていると、丁度チャイムが一時間目開始を告げた。
現れたのは担当教師と、朝礼の時と同じスーツで、耳より上にある髪を後ろで束ねた麻里。
授業開始の号令がかかり、皆が着席したところで、小柄な女性である担当が口を開いた。
「今朝、朝礼でもご挨拶していただいた、麻里先生です」
そして、麻里に自己紹介するように促す。麻里は、それに応える。
「おはようございます! 改めてましてオレ、麻里 双夜っス! 今日からしばらく世話になります、至らないとこも沢山あると思いますけど、笑って見過ごしてください!」
朝礼の挨拶とは違い、砕けた調子。クラスは笑い声にあふれ、麻里を快く受け入れた。
彼の自己紹介は、数分続いた。人前に立つに慣れているのか、40人近い生徒の前でも臆することなく、終始笑顔の好青年だった。
「じゃ、しばらくヨロシク!」
「麻里せんせー、背中に背負ってるのはなんですかー?」
ひとりの男子が、麻里の背中にある長方形の黒いケースを指して言った。
「あぁ、オレさ、楽器は大概扱えるけど、特に金管が得意なんだよ。今日は自前のトランペット持って来たから、聞いてくれる?」
クラスから歓声があがり、麻里ミニコンサートが始まった。
ケースから出てきたトランペットは、くすみがない金色だった。
「よし、何が聞きたい?」
リクエストを求められ、様々な曲が飛び出す。
「ん、わかった。じゃあこの曲にしよう」
麻里はトランペットを構え、小さく音出しをする。そして、前奏から爆発するようなメロディーが鳴った。
たった1台のトランペットから出る音なのに、音楽室を揺るがす程の音量である。
いつの間にか並中の音楽教諭がピアノ伴奏を担い、軽快なリズムに寄り添うように滑らかなハーモニーを流す。
「凄い……!」
ツナは思わず声を漏らす。サビにまでなると、歌い出すクラスメートもいるくらいなのだ。その中に、実はがいて、声がかなり目立っていた。
「どけ! そんな伴奏じゃ曲が活きねーだろ!」
「は、獄寺?」
ピアノの前を無理矢理開け、獄寺が鍵盤に手をおろす。
「……嘘、獄寺くん凄く上手い!」
そう叫んだのは、女子だったか。ますます曲が盛り上がり、クラスのテンションも昇り続けた。
何曲か続く内に、麻里、獄寺、の三人だけが壇上にいて、ライヴ状態だった。
「夜空に誓ったんだ 笑顔でい続けるんだと
また明日も1週間後も 1年経っても忘れない
僕らのteens life!」
曲が終わると同時に、チャイムが鳴る。
「あぁ……授業が潰れたじゃないですか! 麻里先生、一曲だけだと言ったはずですよ!?」
「はは、すみませんっ!」
怒りながらも、まぁ、一時間くらいは仕方ないですね…と妥協する担当だった。
授業は終わったのだが、麻里、獄寺、の周りには三人の演奏、歌唱に聞き惚れたクラスメート達が集まっていた。
「三人でバンド組んで!」
「オレCD出したら絶対買うから!」
「今のうちにサイン下さい!」
勢いだけは立派にプロアーティストのファンである。
「チッ……うるせーんだよ!」
「はいはい、次授業だから、早く教室戻ろ?」
叫ぶ獄寺の肩に、やんわりと手を置く。それほど強く掴んだようには見えなかったが、獄寺はそれ以上発声することはなかった。むしろまったく動かない。
まるで金縛りにあったかのように。
「………」
獄寺の顔に、驚きの表情が覗く。柔らかい笑みを浮かべたは、
「失礼しましたー」
とだけ言い、獄寺の肩を引いて音楽室から退出した。
音楽室に残った麻里は、囲まれたままふたりの背中を見送り、静かに笑みをこぼす。
「……超能力なんて、見るの何年振りかな」
担当が1Aなだけあり、朝と、放課後前のSHRにはいつも麻里はいた。後ろのほうでクラス全体の様子を楽しそうに見ているのだ。
麻里が来て1週間が過ぎた頃、麻里は1Aの生徒に「トム」と呼ばれるようになっていた。名前の「双夜」から、トム・ソーヤの冒険を連想したらしかった。
「起立、気をつけ、礼」
放課後、号令を合図に各々が部活やら下校やらで教室から駆け出していく。
「、帰ろ?」
の机を、ツナと獄寺が囲む。
「ごめんね、今日日直だから日誌書かなきゃ」
「そっか。あ、でもそれくらいなら待ってるよ? ね、獄寺君」
「はい! 10代目がを待つのなら!」
獄寺の晴れやかな笑顔に、乾いた笑いで返すことしかできないツナ。しかしすぐにのほうに向き直り、どうする? ど問った。
それには、
「ううん、悪いよ。時間かかりそうだし、先に帰って」
「テメー! 10代目の好意を踏みにじるつもりか!」
「いや、獄寺君オレ気にしてないから……じゃあ、オレ達帰るね。また明日」
「うん、バイバイ」
そして、教室には以外誰もいなくなる。
夏休みに獄寺から日本語講義を受けたのだが、やはりまだ完璧に書けるわけではなく、思い出すのにどうしても時間がかかってしまう。
「日誌終わったかい?」
「! ……あ、トム先生か」
「皆トム君なんだから、も先生なんてつけなくていいんだぜー?」
「いえ、私は先生と呼びたいんです」
「ふーん、そうかい」
麻里はの前の席に座り、日誌に文字が書き込まれるのを眺める。
そして、が日誌を書き終えると、の顔を覗きこみ、口を開いた。
「なぁ、」
「はい」
麻里は、極めて断定的に、普通なら口にしないような台詞を吐いた。
「お前さ、エスパーだろ」
「!!?」
の顔には驚きと恐怖の感情がいりまじり、真っ青になっていく。
「先週獄寺の肩を掴んだ時、一瞬だけ動きを止めたんじゃないか? 多分反射的にだけど」
この1週間、麻里は笑みを絶やなかった。今もそうだ。
「……………」
の唇が音を発することなく動く。
"ドウシテワカッタンデスカ"
「イタリアにいた頃は超能力者に縁があってね、それで直感的に分かるできるようになったのさ。そうだな……はテレポーターだろ」
ご明察。
「…………私を売るんですか、それとも殺す?」
絞りだした声は、あまりに小さく、ほんの数十センチの距離しかない麻里にも届かないのではないのかと思われた。しかし、ちゃんと聞こえていたようである。
「まさか! オレそんな怖い? 大丈夫だって、オレはお前に干渉するつもりはないし、誰にも話さないから」
「……本当ですか?」
「もちろん。なんならトランペットにかけて誓おうか」
背負っていたケースを開き、歪みひとつないトランペットを取り出す。
「オレの宝物だ。でも、約束破ったら、壊しても構わない」
さっきまでの笑顔は消え、真剣な顔つきになる。
「………いいです。そこまでしなくても、信じます」
の顔に色が戻る。
「そうか。ならよかった」
麻里はトランペットを慎重にケースにしまい、ケースと日誌を抱え、
「じゃ、また明日な」
と何事もなかったように教室を後にした。
麻里がいなくなり、本当にひとりになったは、無言のまま荷物をまとめ、教室から消えた。